生徒は色々な心を抱えて塾にやってきます。
部活でエラーをしてしまった。親に叱られて逆ギレしてしまった。仲良しの友達とちょっとしたことで喧嘩になってしまった。等々・・・・。
決して「良し、やるぞっ!」と言った思いで塾にやって来るとは限りません。いやむしろ「また勉強か。」と言った思いで来る方が多いのかもしれません。
そんな時には、まだ人生始まって10年かせいぜい15年くらいの子ども達です。自分の心を隠して機嫌良く見せられる方が気持ち悪いことなのでしょう。しかし、まともにその心を態度に見せつけられてしまうとどうしてもこちらの接し方もそれなりのものになってしまいがちなのです。
遅刻されようものなら、「ますます分からなくちゃうぞ。それじゃなくても他の子よりも後れがちなんだから。」とか「こんなふて腐れた態度では分かるものも分からないだろうなぁ。」そんな心がふつふつと沸き上がってきてしまうこともあります。
しかしその後で、冷静になってみると「何かは分からないが、嫌な思いを抱えながらも一生懸命に塾に通って来てくれているんだから、その努力を認めてあげなければいけなかったなぁ。」「何故、あの時にすぐに、その努力する心を褒めてあげられなかったんだろう。」と反省しきりです。
先日、偶然にも我が家の次男と「×を○に観られる。」と言うことを話しているときに、息子から「×じゃなくて、それを45°回転させて+(プラス)に観れば良いんじゃないの。」まさに負た子に教えられた思いでした。
一瞬のうちに○や+(プラス)に観られるようになるには、まだほど遠い私ですが、一生懸命に努力し続けていきたいと思っています。