子育てもいよいよ終盤になってると、思い出す言葉があります。
「子どもが小さくて大変かもしれないけれど、こんな時期は2度とないんだから大切にしなくちゃね。」
周囲にいる子育てをすっかり終えた人たちのアドバイス。
何年も今になって体験と共に蘇ります。

何もかも母親に依存してきた子どもたち。
朝目を覚ましてから夜眠るまでずっと一緒に過ごしていたあの頃。
けれど少しずつ自分の世界を持ち始め徒、反抗期を経た彼らが、高校生になる頃には、一緒に過ごす時間は殆どなくどんなに寂しかったことか。

「自分はどんな母親だっただろう。気分に任せて子どもを傷つけたこともたくさんあったかもしれない。」
そんな気持ちでいるせいか、最近町中でのフッとした母と子の関わりに目が行くことが多くなってきた。

いつだったか保育園の帰りらしい同じ同じ母娘を何度か見かけ、何とも言えず「ほんわか」した気持ちになったことがありました。
「今日のお昼ご飯は何でしたか?」
「え-と キュウリとトマト!」
「おいしかったですか?」
「とってもおいしかったからおかわりしました!」
「夏になると キュウリとトマトがおいしいものね。お母さんも食べたかったなぁ。」
「どうして夏になるとおいしいの?」
「それはねぇ、お日さまの光をい-ぱい浴びるから。お日さまとたくさんお話しているから。」
「ふ-ん。じゃあ今日の晩ご飯に お父さんにも食べさせてあげようよ。きっと喜ぶよ。」 「それがいいね。そうしましょう。」

どこにでもある普通の会話ですが、まだ4~5歳くらいの女の子は、キュウリやトマトが夏野菜であることを自然に知り、さらにおいしいものをお父さんにも食べさせてあげたいという優しい心も自然に育ち、何より母娘が2人の時間を、手をつなぎ笑い合いながら全身で楽しんでいる姿が印象的でした。

次に見かけたときは、娘が保育園で覚えてきた歌を2人でで口ずさみながら歩く姿、その次に見かけたときには、どこかの庭先に咲く花を指さしながら、娘がしきりにころころと笑いながらお母さんとなにやら話している姿でした。

自転車の後に子どもを乗せ、一刻も早くとペダルをこぐことがあっても、時には子どもと手をつなぎ他愛もない話をしたり、歌ったり、笑ったりいる家路も、子どもが小さいうちだからこそ味わえる貴重な時間なのだろうと思います。